愛車A170に積んでいるCD
an una uma     the rim of the day
bad stuff      electric primitive
bebel gilberto   bebel gilberto
beck odelay
bjork homogenic
caetano veloso   a foreign sound
caetano veloso    noites do norte
chico buarque o sambista
django reinharot the best
eddie parmieri the best
elis regina elis & tom
elis regina in london
james booker    resurrection of the bayou maharajah
james brown revolution of the mind
joao gilberto eu sei que vou te amor
joyce the essential joyce
lauryn hill the miseducation
los lobos colossal head
miles davis bithes brew
miles davis birdland 1951
nuyorican soul
sonny clark the 45 sessions
sound experience don't fight the feeling
stevie wonder with a song in my heart
the sallie martin singers/cora martin

ギターレッスン


現在の音楽との関わり合い方に重要な示唆を与えてくれた方

blues house ZACO:
はじめは「ハンバーガーとカレーが美味くて、渋い音楽がかかっている店」くらいの認識しかなかったが、徐々に頻繁に通うようになりBluesをはじめ、GospelやR&Bなど様々な音楽を知るきっかけを与えてもらった。アメリカのBlack Musicばかりでなく、AfricaやBrazilやCaribの音楽に目を向けるきっかけもここでもらったように思う。ある日、店に入るとEddie Palmieriの凄まじいライブ演奏がかかっていた。それまでダサイイメージしかなくてまったく関心がなかったsalsaに興味をもった瞬間だった。今まで知らなかったすばらしい音楽に出会い、さらに不思議なことに知っている曲であってもここで聴くと自宅で聴くよりよく聞こえる、そんな場所が私にとってのZACOである。

SANTAさん:
友人に誘われて軽い気持ちで入った京大軽音。そこで出会ったのがSANTAさん。出会って間もなく自宅に案内された。まず、あらゆるジャンルの音楽に精通していること、寝室の半分以上を録音機材占めていることなどに驚いた。音楽中心の生活を送っている人に初めて出会ったのだが、それがSANTAさんだったのは恵まれていたのかもしれない。SANTAさん自身、the GAMBLERSやDJとして活動されていたが、SANTAさんが裏で関わっていた、村八分やBad StuffやBo Gumbosなど京都発の音楽を知るようになった。京大理学部卒業後、医学部に再入学された方で、非常に知的であるが、どこか「壊れて」いる。音楽に向き合う姿勢、一つの音楽の裏には様々な人間が様々なレベルで関わっていること、音楽を続けていくことの難しさなどを、その姿から教わった。

市川 修(敬称略):
jazz pianist。ピアノのレッスンを受けたのが知るようになったきっかけ。ライブ活動を中心に、その評判でCDを売り上げ、ラジオや雑誌などでも紹介され、果ては小説の主人公としても登場する。奥さんの芳枝さんはvocalist。音楽的にも、家庭を築かれているという点でも、我々家族にとっては憧れとする方。

19歳からは京都で学生生活。いくつかの貴重な出会いがありました。音楽が、現在の生活において中心的な位置を占めるようになったのは、これらの出会いがあったからだと思っています。
最も大きな出会いは、emmyとの出会い。emmyとともに積み上げてきたものについては、まずは作品で語りたいので、ここではあえて語りません。
1999年横須賀に転居。必要に迫られ、作品はemmyと二人で制作するようになりました。
明日は、現在の音楽との関わり合い方に重要な示唆を与えてくれた方と、2.いま愛車メルセデスA170に積んでいるCDのリストを。

amar o mar

18才までを神戸で過しました。とりわけ港町神戸を臨む高台にある六甲学院に通った6年間は、少なからず人格形成に作用したように思われます。ちなみに六甲学院は、カトリック系の中高一貫校。僕は信者ではないけど、やはり多感な時期に、間接的であれ、カトリックの教えに触れたことは、現在の価値観、価値判断に影響しているように思います。
高潔であることに関して非常に厳しい学校で、正直なところ、通っていた当時は、ひたすら閉塞感を感じていたように記憶しています。その結果か、必要以上に他人に対して自己抑制的なところがあるようにも思う。余談ですが、高校の卒業アルバムで、自分の写真のそばに一言コメントを添える欄がありました。上記のような閉塞感を言葉にしようと思って「6年間は長かった・・・」とコメントをつけました。ところが、できあがったアルバムを見ると、コメントの上の自分の写真が、歯までのぞかせた笑顔。「これじゃあ、まるで楽しい6年間を満喫したかのようなコメントに見えるじゃないか」と愕然としました。あの卒業アルバムは自分の中ではタブー。
学校生活と同じくらい、現在の自分に大きな影響を及ぼしたのは、神戸の町並みです。とくに港を臨む町並み。鬱屈した気持ちが心に充満した時には、三宮駅から新開地駅まで歩いたものです。その途中にはメリケンパークがあって、のちに隣接する場所にはハーバーランドもできました。人の手が加わり、きれいに整備され商業化された場所でも、例えば平日の昼下がりなどは人気がありません。そういった時には、かえって自分と自然(この場合、天然の自然ではなく、取り巻く環境という意味での自然)とが不思議と溶け合うような感覚に浸れるものです。
今では、海といえば、砂浜でemmyやfeliceと波際までいって砂遊びをしたり、時には海水に浸かったりするのがとても楽しいと思えるようになったのですが、それでもなお、例えば葉山マリーナ内のデッキに座っている時などに、より開放的な気分になれるのは、神戸での経験からきているのかもしれません。